
編集長コラム始まりました
皆さんこんにちは!「Webマガジン ニュース・オブ・アジア」編集長のHBK.Iです。
このコラムは、「Webマガジン ニュース・オブ・アジア」としてではなく、私個人としての体験談や日々思うことを紹介していこうというものです。というわけで、ここに書いてありますことは当サイトを代表するものではないことにご留意ください。
さて、突然ですが、ダージリン、アッサム、セイロン。これらはすべて地名ですが、共通するものは何でしょうか?
お分かりですよね?有名な紅茶の産地です。
でも、それぞれがどの国にあるか、ご存知の方は少ないかも知れません。
セイロンは、正式にはセイロン島という島の名前から来ています。以前は、イギリス領セイロンとして存在していましたが、1978年から国名はスリランカとなりました。場所は、インドの南側、一般的な世界地図ではインドの三角形の先端の下にある島国です。
では、ダージリンとアッサムは?
インドと紅茶の深いつながり
そう、これらはすべて、インド北部にある地名です。
ダージリンは西ベンガル州にあり、アッサムはそれ自体が州の名前です。場所は、エベレストの麓にあるネパールの東側、ブータンとバングラデッシュに挟まれた地域です。…と言われてもピンと来ないかも知れませんが…。ぜひ、世界地図で確認なさってみてください。「え?こんなところまでインドなの?」と興味深い発見があるかも知れませんよ。
ところで、注目していただきたいのは、インドとその周辺に紅茶の有名な産地がある、ということです。そして、インドと紅茶の間には、切っても切り離せない歴史があります。以下は、ウィキペディアからの引用です。
17世紀[編集] 1679年、イギリス東インド会社がロンドンで初めてティー・オークションを開催し、3樽の中国産のボヘア茶(ボビー)が競売にかけられた[18]。ボヘア茶は中国では粗悪な茶として扱われていたが、イギリスではこれが珍しい茶として扱われ、後世の紅茶につながったといわれている[18]。 18世紀[編集] 1712年頃にはイギリス東インド会社が中国茶のヨーロッパへの輸入を独占するようになった[19]。1717年にはトーマス・トワイニングが紅茶専門店「ゴールデン・ライオン」を開業して成功を収めている[19]。また、1765年にはいわゆる砂糖革命が起き中産階級への普及が進んだ[19](砂糖法も参照)。 1773年にはイギリスがフランスとの戦費調達のために重税を課したのに反発したボストンの住民がイギリス船の茶箱を海に投棄するボストン茶会事件が発生している[19]。 19世紀[編集] 1823年、イギリスはインド北部のアッサム地方へのビルマ支配に対抗してイギリス東インド会社の軍隊を送って制圧[19](第一次英緬戦争)。この戦いにイギリス軍の少佐として従軍したロバート・ブルースがのちにアッサム種として知られる茶を発見し、中国から茶師を招いて茶の生産を始めた[20]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/紅茶#18世紀
昔学校で習った、東インド会社、懐かしい記憶ですね。香辛料貿易のイメージが強いですが、紅茶もこうしてイギリスに届けられたんですね。
アッサム州だけでなく、すぐそばのシッキム州も紅茶の産地として有名です。インドは、紛れもなく紅茶大国です。もちろん、イギリス人がお洒落に楽しんでいるアフタヌーンティーと、インドの屋台で提供されているチャイとで、イメージはずいぶん違いますが、それでもインドがれっきとした紅茶大国であることは間違いありません。
ネパールという国
さて、ここまでインドと紅茶の関係について書いてきたのには意味があります。先ほどのウィキペディアからの引用で中国についても触れられていましたが、それにも意味があります。
このインドと中国に、今コーヒーが急速に流行りだしている、ネパールという国が挟まれて存在しているからです。
近年日本でも存在感を増しているネパールですが、その地域性からも容易に想像できるように、ここもまた紅茶文化が根付いた国の一つです。
世界地図、ご覧になりましたか?
え?まだですか?
では、どうぞ。ピンを落としてあるのが、インドの西ベンガル州ダージリンです。
こうして地図を見ていると、確かに紅茶文化だということが想像できますね。
さらに、鋭い方はすでにお気づきかと思いますが、シッキム州も、ダージリンのある西ベンガル州も、ネパールと国境を接しています。ということは、ネパールにも優秀な紅茶の産地があるのでは?
地図をグーっとズームしていっていただければ、ネパール側に小さく「Ilam/ईलाम」という場所が出てくることにお気づきになることでしょう。ここは、ネパール有数の紅茶の産地で、カトマンズ市タメル地区のお土産屋さんにはよくここの茶葉が置かれています。
ネパールとコーヒー
筆者も約10年前にネパールに滞在したときは、休憩と言えば、甘~いチヤ(ミルクティー)でした。コーヒーを探しても、飲めるものと言えば、「砂糖とミルクとネスカフェ・クラシック」か、チヤの上にネスカフェ・クラシックをパラパラと振りかけて香りづけをしたものでした。まぁ、これはこれで美味しかったですよ。でも、首都であるカトマンズ市でさえ、そういう状況でした。
ネパールは観光国ですので、カトマンズ市には外国人観光客向けのお店もあります。そういうお店や宿が集まった地区がタメル地区です。こういう場所に行けば、さすがに、カフェがありました。あの頃は、KALDIがありました。無料Wi-Fiも利用できるお店は少なかったので、よく利用させていただいたものです。
とはいえ、一般にはコーヒーは全く浸透していませんでした。ましてや、ブラックコーヒーでコーヒー本来の味を楽しむなんて、現地の友人たちには考えられないことだったようです。
「えぇ!?砂糖入れないで苦いの飲むの!?…い、いやだ…。」
これが、普通の反応でした。

ところが、それから約10年。時代は変わります。コーヒーの魅力は多くのネパール人の心を捉えつつあります。そして、ネパールは山岳国であり、コーヒーの産地として適した土地もあります。今、紅茶文化の国ネパールでも、コーヒーが熱い!
コーヒーは嗜好品。その土地土地で、それぞれ独特の発展を遂げるものです。とりわけ、発展途上の様々な情景は、興味をそそるものとなります。
これは面白い。
ぜひとも、取り上げなければ!
そういうわけで、これから、編集長コラムとして、「ネパールのコーヒー事情を探る」と題したシリーズ記事を連載していきたいと思います。どうぞお楽しみください。
※この記事は、「Webマガジン ニュース・オブ・アジア」編集長が個人資格で投稿しているものであり、当サイトおよび運営会社の考えを代表しているものではありません。編集長個人が過去に他サイトに掲載したものを当サイト用に一部編集して掲載しました。